実生活でも17歳の娘さんがいる芳本さん。ご自身は16歳で芸能界デビューしていましたから、彼女を見ていて、いろいろ思うところもあります。
「娘は私より背が高いので、見上げて叱るのですけれど(笑)、『ママは16歳のときから働いていて、あなたくらいのときには大人だったよ。もうちょっとちゃんと考えなさい』って。でも当時を振り返ると、私も相当叱られてましたけどね(笑)」
芳本さんと娘さんとは、普段はふざけあっていることが多い仲良し親娘のようです。
それにしても、10代で学校へ行きながら仕事をしていた芳本さん。大変なことも多かった時代でした。
「3年ぐらいは休みがなかったですね。定時制の学校に通っていて、土日はレコードのキャンペーンで地方へ。移動中は寝ていました。レコードの新曲発表会をデパートの屋上でやることが多かったので、デパートの搬入口の記憶しかないですね(笑)。それでも仕事は楽しかったです。失敗もたくさんしたけど『てへっ』で乗り越えてきました。経験して、失敗して覚えていくことが許される時代でもありました。できないことありきで始めていいと思っていましたね。装ってもバレてしまいますし。自然でいたことが良かったのかもしれません」
デビュー6年目に『阿国』で初舞台。木の実ナナさんが主役のミュージカルでした。素晴らしい先輩たちとの出会いと、そんな人々に愛されるキャラクターだったことも今の彼女を作ったのでしょう。
「怖くてしょうがなかったですよ。すごい方々に引っ張られながら、セリフを覚えて、必死についていくという感じで。でも、初舞台が終わって、すぐまたやりたいと思えたのです。そこで印象が悪かったら、やってなかったかもしれません。恵まれてきましたね」。
芳本さんの活躍をずっと応援してくれたお父様は、4年半前に亡くなりました。
「そこから毎日、仏壇にお線香をあげています。2年半前に再婚したのですが、今の夫も毎日、私の父に手を合わせてくれるのです。ありがたいな、嬉しいなと思っていたら、自分のお願いもしているみたいだけど(笑)」
お父様に供えるお線香は、ラベンダーや桜の香りを選ぶことが多いそう。
「おみくじのように、一本選んで、いい位置に立てて、火をつける毎朝の儀式のようなもの。母も一緒に住んでいますので、私が旅に出ていると、父に『美代子が無事に帰りますように』と祈ってくれています。父は長男だったので、仏壇があって、ずっとお線香の匂いをかいでいる。順番が回っていくのだなという気持ちがありますね」
自分の根っこを大事にする芳本さんだからこそ、ずっと人に愛されてきたのでしょう。
「50代は人生のなかでもまた新しいステージ。そこに合う私を元気にいきいきと、生かしていけたらなと思います。もちろん、自分の体は変わっていきますし、やれることとやれないことが出てくるでしょう。無理をしないで、自然に、今の自分でやれるようでありたい。これまで、無謀に全力で仕事してきたところもあるので、これからは家庭のことも考えつつ、バランスのいい形でやっていけたらと思います。自分がしてもらったように、若い人も育てていきたいです」
長いこと、大人であろうと頑張ってきた少女が、今、本物の大人の女性になって、肩の力も抜けたところ。でも、頑張ってきた人のエネルギーはまだまだ熱く、
優しく、見る人の心に響いていくでしょう。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 ヒダキトモコ
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