実はYohjiYamamotoとの仕事の後、息子の耀鳳さんがくも膜下出血で倒れるという一大事が。
「素晴らしい脳外科の先生に恵まれまして、10時間半の手術を経て、後遺症もなく戻って来れた時は、奇跡だと思いました。3年経った時に主治医から完治と診断された時は嬉しかったです。」(耀鳳)
承龍さんと耀鳳さんは双子のように見える、仲の良い親子。承龍さんの心配はいかばかりだったことでしょう。親子という繋がりだけではなく、二人は阿吽の呼吸で分業できるビジネス・パートナーでもあるのです。
もともと、耀鳳さんは、本名の耀次を名乗っていました。父親がデザイナーの山本耀司さんの大ファンだったことからついた名前でした。
「彼が子どもの頃は、紋を描くという職人仕事でもなく、着物の加工全般をやっていたんです。それが、彼が大学の1年から2年に上るタイミングで、仕事が倍増して忙しくなって。手伝ってもらいたいなと思ったのが最初でした」(承龍)
ちょうど、耀鳳さんも、大学の勉強が自分には向いていないと感じていた時期でした。
「2年になる前の春休みでした。父の仕事が本当に忙しくなっていて、バイトではなく、正式に働いてくれないかと言われて『2週間だけ考えさせてほしい』と答えました。このまま大学に通うのと、ここで社会に出るということを天秤にかけるわけですから。父は僕が子どもの頃からずっと、この家業は自分の代で終わらせていい、自由に生きていいよ、と言ってくれていたので。でも、だからと言って、僕は何かをしたいというふうには思えなかったんですね。なんの強い想いもなく生きていた。だから、よく考えて、もう何かを見つけられる保証のない大学に行くのは無駄かもと。社会に出て、その何かを探そうと思ったんです」(耀鳳)
その頃はまだ着物の加工業だった頃。そこから7〜8年後に、波戸場親子がデザインの道へと振り切っていく転機がやってきました。
「父が50歳になったタイミングで、このまま加工業を続けて仕事の取り合いになるのも虚しいなという話になったんです。取り合いになるのは『誰でもできる仕事だから』。だったら、自分にしかできないことをやろうという思いが芽生えて、父は作品を作り出したんですね。そして2007年、ウィーンで初めて個展を開きました」(耀鳳)
二人に転機が訪れたのは、デジタルとの出会いがきっかけでした。
「2010年に、ある企業がロゴデザインとして紋をデザインしてほしいという依頼がきました。そしてその完成形を”イラストレーター”のデータで納品してほしいと言われたんです。そこで僕は、 ADOBE社のIllustratorというソフトを初めて触りました。デザインをするならMacかなと思い、それらを使い出したら、雷に打たれたような衝撃を受けまして。人生で、本当に自分がやりたかったことがわかった。そういう瞬間だったんです。それは本当に人生のターニングポイントでした」(耀鳳)
こうして2010年、屋号として使っていなかった「京源」を復活させ、デザインの会社として生まれ変わったのでした。
耀鳳さんはデザインの面白さに目覚めました。
「世の中の見えるものすべてがデザインでできているんだと、見え方が変わりました。そうするとすべてが面白くなって、今に至るという。生き方が真逆になったんです。おそらく2010年までは、父が言っていること、やりたいことがわかっていなかったんだと思うんです。ウィーンで個展をやったときも、僕はわからないから関わらなかった。でも、デザインという共通言語ができて、親子・師弟という関係から一緒に作品を創り上げるパートナーシップへと変化したんです。」(耀鳳)
承龍さんがつくりたいと思うものを描き、それを耀鳳さんが整え、美しく伝えるものとする。そういう形が出来上がったのです。
「喧嘩することはないですね。それは何がかっこいい、何がほしい、ということが一致するからです」(承龍)
「おそらく、いくつかデザインがあって、それぞれ一人ずつにブラインドで何か選ばせても、選ぶものは一致するでしょうね。例え選ぶものが違ったとしても、結局、話し合えば結論は一つ。必ずしも父の意見が100%ということもないし、お互いに尊重しあっています。それは多分、親子でも父は上から目線にならない。関係性がフラットだというところが大きいですね。」(耀鳳)
それは「紋」というものが「円」でできている、一つの揺るぎないモチーフであるというボトムも大きいのかもしれません。
「ある方に言われたんですが『家紋が大きな木の幹だとしたら、そこから出る枝葉は自由にやった方がいい。ただ、幹は変えてはいけない』と。手描きとデジタルのハイブリッドというのも、やっぱり枝葉のことなんです」(耀鳳)
「手書きの部分を作品の中には残していきたい。もちろんそれはありつつ、新たな技術が加わるとすごく面白くなるんだろうなという気もしています。手描きとデジタルとの融合でここまで世界を広げることが出来たので、これからの未来でどんな技術と家紋を掛け合わせる事ができるのか、今から楽しみです。」(承龍)