ライター時代、ゆう子さんはビールの記事を書くことも多かった。
「『DIME』ではビールの特集は一時期、ほとんど私が書いていましたね。どちらかというと、普段飲むのもビール派だったんです。ワインはいくつもある酒の中のひとつでしかなかった。ところがあるとき、弟の家でとある方を接待するためのワイン会を開催したんです。ワインは各自持ち寄りでした」
ゆう子さんが選んだのは、ボルドー最高峰のワイン、シャトー・ペトリュス’87年。
「高いと思いましたけど、接待ですから(笑)。楽天モールかなんかで6万円だった。で、その時に弟が選んだのは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティの『エシェゾー』というワインでした。ちなみにドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティというのは醸造所の名前でして、この蔵は世界で最も値段の高いブルゴーニュ特級ワインの畑を『ロマネコンティ』を筆頭に8つ持っている。『エシェゾー』は、その中で一番お手頃価格の特級畑です。確か当時はビンテージでなければ1万円台で売ってました。その日飲んだエシェゾーは85年ビンテージでしたが、それを口にした時、脳天に雷が落ちるようなショックを受けたんです。なんだこれは!と」
1985年のブルゴーニュは最高の当たり年。
「ビンテージも最高で、ベストな状態だし、選んでいたグラスもピッタリだった。これはただのお酒じゃないと思いました。透き通ったワイングラスの向こうに人間、文化、歴史、自然といったすべてがシルクスクリーンのようにわーっと重なって見えたんです。これはショックでした。その一杯が自分の人生を変えてしまいました」
ワインにはまったゆう子さんは、それからは大変なことになった。
「ハマると狂う(笑)。どんどん買い集めました。ネットモールでも出回り始めた頃でしたから。どんどん買っていると、冷蔵庫に入りきれなくて、ワイン・セラーを買う。すぐ満杯になる。しょうがないから、倉庫を借りる。倉庫の家賃で首が回らなくなる。これはまずい!みたいな感じでした」
一方で伸さんも、同じエシェゾー85年を飲んでワインに急激にのめり込んでいった。
「もともと弟も、私よりワインが好きだったと思う。バンバン買っていて、自宅の地下に棚を作って、嫁に怒られるみたいな。それで、二人でこのままじゃヤバいから、アパートでも借りようと。吉祥寺で一番ボロいアパート借りて、業者を入れて棚を作り、断熱材を張って、クーラーと加湿器をぶんぶんフル稼働させました。その時点で、すでに3000本はあったと思います。それが2002年ごろまでの話。『神の雫』は2004年スタートです」。
ボロアパート丸ごとワインセラー化計画も、問題が出てきた。地震の不安だ。
「なんせ歩くと廊下を踏み抜きそうなボロアパートだったので、地震が来たらひとたまりもありません。それで地震の情報を常にサーチしていたところ、電離層の揺らぎで地震を予報している天文学者が2002年に東京直下型が来ると言い出したんです。ワイン全滅の危機だとなって、大慌てでワインたちを鉄筋コンクリートの一階のワンルームマンションにお引っ越しさせた。で、結局、地震は来ませんでした」。
姉弟でなぜそこまでワインにはまり込んでしまったのか。二人は話し合った。
「我々、なんでここまでワインに心を奪われてるんだろうという話になったんです。それはワインそのものに市場性があるからじゃないか、というのが一つ。もう一つは、二人で夜中に飲んでいてよく言葉のゲームをしていたんですね。『これって昔、家族で行った諏訪湖に近くない?』とか『このワインが女だとしたら、黒髪だね』とか。やってるうちに気がついたんですが、これは姉弟だからたまたま共通の印象を持つのではなくて、もしかしたらワインの中にはイメージがすでに存在していて、誰もがそれを感じ取れるんじゃないか。とすれば、ワインのイメージを軸とした漫画が成立するんじゃないか、と」
こうして二人はやっと『神の雫』の入り口に立ったのだった。
ところが、当時はバブル時代のワインブームが去り、焼酎が注目されていた頃。
「とりあえず、半年はやらせてほしいと。人気がなかったらやめますよと。でもちょうど連載3回目にシャトー・モンペラ2001年という2000円くらいのワインを出したら、それが楽天モールや酒屋がめちゃくちゃ宣伝してくれたんです。『神の雫』というワイン漫画を知っていますか、という触れ込みで。そうしたらモンペラは飛ぶように売れました」
あまりの売れ行きにモンペラ2001年の在庫はゼロに。いったい日本で何が起きているのかと、蔵元が日本にやってきたほどだった。それとともに漫画『神の雫』の知名度も老若男女に一気に広がることに。
「まず日本で知名度があがり、次にブレークしたのは韓国。250万部という記録的部数を売りました。当時あの国はすごく景気が良かったので、ブームになった。景気がいい国ってワインがよく売れるんですよね」
韓国での人気は、行ってみてわかった。
「空港にカメラマンがいて、バシャバシャ撮ってて、後ろに誰か有名人がいるのかと思ったら、翌朝、私と弟が寝ぼけた顔でキャリーケースを引きずって歩いている写真が新聞の一面トップになっていました(笑)」『神の雫』作者が来韓、と」
その韓国でのブームで、直接俳優からコンタクトがきた
「ペ・ヨンジュンさんから連絡がきたんです。配信ドラマで山下智久さんが演じている主人公・遠峰一青の造形的なモデルはペ・ヨンジュンさんなんですね。それが何かの記事を読んだペさんに伝わり、ご本人が『やりたい』と。ただ、現地の国営放送ではワインの名前が出せないという事情がわかり、何年か企画を練り直したりして前向きに検討していたのですが、最終的にドラマにはなりませんでした。ご本人が一番残念がっていました」。