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    第274回:狩野泰一さん(篠笛奏者)

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《2》エリートコースを捨て、音楽で生きていくと親に宣言

 東京都武蔵村山市。そこに生まれ育った狩野さんは、勉強のできる純粋な少年だったようだ。
「武蔵村山市って東京都内なのに、私が幼い頃も、今でも駅がない。8キロ先の立川に出るのに、ぎゅうぎゅうのバスに乗って1時間かかるんです。狭山丘陵の麓ですね。だから子どもの頃は、いつも自然の中。田んぼでザリガニを捕まえて遊んだりしていました。だけど、田舎なのに、新興住宅地だから祭りもない。横田基地が近いからヘリコプターや軍用機が飛んでいて、日産の工場があったから夜もテストコースを車が爆走していて、騒音にまみれて育ったかんじでした」

 そんな騒音のなかで、ラジオから流れてくる音楽が救いになった。

「FENを聴いてアメリカに憧れました。フォーク、ロック、ジャズとやっていて、高校の時はドラムを叩きながらロックを歌い、大学のときはジャズドラムにはまって、森山威男さんの弟子になりました」

 一橋大学に通っていたのに「音楽で生きていく」と親に宣言した。

「親父と大喧嘩ですよ。でも共演者、店から『おまえのドラムはうるさいからいらない』と言われ、収入にもならないし、これじゃダメだなと思って諦めてニューヨークに留学したんです。一度世界を見てから就職しようかな、と」

 ところが、そこで運命を変える風景に出会う。

「アメリカ人が和太鼓を叩いて何千人のニューヨーカーが総立ちになってブラボーって泣いてるのを見ちゃったんです。私は日本で生まれ育ったのに、日本の楽器が一つもできないどころか、聴いたこともなかった。そのことにすごいショックを受けて、帰国して、出来て5年目の『鼓童』というグループに入ったんです」

 名門大学から有名な会社へと息子のエリートコースを想像していたご家族は、がっくり。

「父はもう愕然として、おまえはヒッピーになるのか、と。とにかくいい学校に入れ、いい会社に入れ、って育ってきたから」

 和太鼓、篠笛、尺八、三味線。それらを少しずつマスターし、始めて一年後から世界の舞台に立っていた。

「10数台の和太鼓に負けないよう、マイクなし、篠笛一本で世界の大ホールで連日真剣勝負! 年間約130公演という生活を10年間やっていました。そうしたら耳を壊しちゃって、それで鼓童を離れたんです」。

狩野泰一さん

《3》篠笛を美しく聴かせることに

 手元に篠笛が残った。

「耳が痛くて2年間は、何もできなくなっちゃった。でも、毎日海を見ていたら、風のようにそーっと美しいメロディだったら吹けるなと思い直して。ギター、ピアノと篠笛のデュオ等をやり始めて、それでメジャーデビューできたんです。ピンチはチャンス!」

 ピーっと吹いてお囃子をやるのではなく、歌うように吹いてこれまでにやってきたいろんな音楽と融合させていくことに夢中になった。

「美しく聴かせる。ジャズ、ポップス、ラテン、フラメンコ。いろんな音楽と融合させ、オリジナル曲を書いていきました。12平均律に音程をコントロールしつつ、篠笛らしく自分らしく展開していった。尺八の世界では素晴らしい先駆者がいましたが、篠笛では、西洋の様々なジャンルの音楽と融合してオリジナル曲を創っていくのはおそらく私が初めてだったから、手探りで素敵な融合、独自の音世界を生み出そうと一生懸命やってきました」

 しかし今回のアルバム『WORLD PEACE』でやっているのは、12平均律と正確なテンポにこだわらず、自然な揺らぎを大切にすることだ。

「金子竜太郎のしなやかな和太鼓のうねりに乗って、林正樹のピアノが絶妙な展開を魅せる。それに引き出され笛を重ねていく感覚は、最高に心地いい!和と洋、静と動、古代と現代、呼吸と鼓動が融合する唯一無二の音世界に近づけたと感じています」。

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