緑のアスパラを、シンプルに少しのオリーブオイルでフライパンで転がして焼く。スプーン1杯だけ水を入れて、蓋をしてさっと蒸し焼きにする。少し焼き目がついたら取り出し、フライパンを拭いてバタを入れ、薄いきつね色の焦がしバタにしてかけ、黒胡椒をガリガリ振る。
「まずはシンプルに」
「いいねえ」
二人はステーキを食べるように、ナイフとフォークでアスパラを切り、ひと口ずつ口に運んだ。
サクリと歯を当てると、じゅわりと中からアスパラのジュースがほとばしる。味わって、泡をひとくち飲む。
「これはずっと泡でもいいかもな」
「そうかもですね」
二人は結局、そのままカバを飲み続けることにした。
「そうだ、幸さん、佐伯洸からは連絡はある?」
「… いいえ」
幸は寂しい顔を悟られまいと、後ろを向いたまま答えた。
「そうか。あいつ、いい男だったねえ」
「…」
その横顔を思い出すと、まだキュンとする自分に、幸は一瞬、戸惑った。彼が居た時間は彼の音とともにあって、人生のご褒美のような時間だった。でもそのことはもう、小さな箱に入れて、心の中の海に沈めた、と、幸は思っていた。
セルジュにその箱を遠くから見つけられてしまったような気がしたのだった。
そこへ、小柄で華奢な女性が一人で扉を開けた。
「いらっしゃいませ。…あ、あなたは」
「はい、藤原の娘です」
あのとき、幸も恭仁子も、彼女のことを藤原の若い愛人かと思ったのは、二人が全く似ていなかったからだ。今、やって来た彼女を見て、幸は改めてそう思った。
黒髪のロングヘアに、あまり化粧っ気のない白い肌。ストンとした、薄い黄色の麻のワンピースに、砂色のカーディガンを羽織っている。年齢不詳な少女のような雰囲気だった。
セルジュは藤原のことを知ってはいたが、娘のことは知らないようだった。
「へえ。藤原さんのお嬢さん?」
「父とお知り合いなんですか」
彼女は一瞬、微妙な表情をした。あのとき、父親が大きな声で関西弁をしゃべるのを嫌がっていたときの表情と同じだった。
セルジュは悪びれず、軽く挨拶した。
「僕は倉木って言います。お父さんには雑誌時代にお世話になりましてね」
「父が… いやきっと、父の方がお世話になったんだと思います。本当、すみません」
そのやりとりを背中で聞いていて、幸は彼女は本当のところでは父親をそう嫌ってはいないのではないかと確信した。
セルジュが聞いた。
「お嬢さん、お名前は」
「ゆうなです。優しいに菜っぱの菜」
「いい名前だね」
幸は尋ねた。
「優菜さん、お腹、空いてる?もうすぐ白いアスパラのご飯が炊けるんだけど」
「そういや、いい匂いがしてるなと思った」
吉田が嬉しそうに言った。
優菜は言葉では返事をせず、小さく首を動かして頷いた。